行ったときMOMAは既に、谷口吉生の新生MOMAに向けて改築に着手しており、 彫刻ガーデンすら見ることができなかった。 常設展示も一部だけに縮小されており、 結局よく見ることが出来たのはシーザーペリが作ったエスカレーターとその吹抜け空間だけだった (写真1〜4)。
ここで「ニューヨーク摩天楼都市の建築を巡る」を要約して、 MOMAの建物としてのヒストリーを簡単に見ておこう。 まず1939年にグッドウィン&ストーンにより建てられる(移転してきた)。 箱形の白大理石張り外壁と、そこに開けられた水平窓、展示室への採光の為の半透明大ガラス面は、 モダニズムをこの地にもたらす青天の霹靂であった。 1951年にフィリップ・ジョンソンによりミース風の鉄骨とガラスを立ち上げた増築がなされる。 1964年に同じフィリップ・ジョンソンにより彫刻ガーデンが整備される。 池や植栽を伴い、それまでに無かった都市的な外部空間として評価された。
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1984年にはシーザーペリが展示室を拡張し、 資金源確保の為に計画された高層住宅棟を完成させる(写真6、7)。 またジョンソンの彫刻ガーデンに若干侵食するガラス張りのアトリウム的空間を設け、 ガーデンを眺めながらエスカレーターで移動できる動線をまとめる。 結果としてデパートのような開放的な動線空間が生まれた。 高層棟は単純な箱型に近いものの、 ガラスの色を使い分けて壁面に変化を持たせてスケール感を調整している。
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シーザーペリの作ったエスカレーター空間は、 明るい光の中で外の景色が良く見えて、大変気持の良いものだった。 人で常に混んでいたけれど狭すぎる事はなかったし、 デパートのような開放的空間というのは正にその通りだった。 展示内容によってはもっと閉鎖的空間の方が合っているものもあるかも知れないが、 現代美術はむしろあっけらかんと開放した方が観賞後の気分にとってぴったりだ。 外の景色の映ったところを是非見て頂きたい(写真4)。 一方、彫刻ガーデンは壊されて見るも無残な姿だった(写真8)。
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[参考]
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