ティファニービル
Tifany Building (1903-06)
by マッキム・ミード&ホワイト (McKim, Mead, and White)


装飾柱がきれいな、洗練・上品さを持つオフィスビル
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ティファニーとは言っても宝石屋のティファニーが今このビルに入っている訳ではない。 公共建築やクラブ建築が多かったマッキム・ミード&ホワイトがどんなオフィスビルを建てたのか、 興味があったが、行ってみると他のビルと明らかに違って見えた。 彫りが深いのである。はっきりそれと分かる。 写真ではそのあたりの事がうまく伝わらないように思う。 2層分あるオーダーが、実に立派な感じがする。

このビルは3層に見えて7層なわけだが、 これだけ3層の仕切りが強調されているのは、他のオフィスビルにはないデザイン上の工夫と言える。 それと、写真1を注意して見て頂きたいのだが、 他のビルと比較すると階高が大きい事が分かるだろう。 周りにはティファニービルとほぼ同じ高さが9階ぶんに相当するものもある。 いかに見た目の構成・スケールを重視して階高をゆったり取ったかが分かる。

AIAのNYガイドによれば、このビルはホワイトの担当で、ベニスのパラッツォを参考にしているそうだ。

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ただ、1層目(1-3階)の西側と北側の一部の柱が無表情で、やや間延びした感じを与える。 これは竣工当初どうなっていたのだろうか。 いま1F部分が変に増築されて店舗になっているから、 柱も竣工当初とは何か違っているのではなかろうか。 この点だけがちょっと疑問のままである。

さて2002年8月に 世田谷&NY界隈ウォーキング のfujiyan さんから興味深いことを伺ったのでご紹介する。 このビルは、やっぱりあのティファニーのビルだったのだ(かつて)。 ティファニーは、創業時はシティ・ホール周辺にあり、 ユニオンスクエア、そしてこの37St、最後に現在のミッドタウンへと、 富裕層の北上転居に合わせて店舗移動してきたのだそうである。

その歴史をざっと振り返ると、 1837年創業当初は文房具・小物屋であったが、1841年に宝石・銀製品の販売を開始する。 1847年に数ブロック北へ移動した。 1854年にソーホーに移り、 1870年にはユニオン・スクエアの西、レディス・マイルと呼ばれる地域に移動した。 1905年にはここ5番街37Stに移っている。 ちなみにこの辺りはマレー・ヒルと呼ばれている。 そして1940年に、現在のミッドタウン57St/5Aveに移転した。

ティファニーは、富裕層の北上転居を10-20年程度(?)遅れる形で追いかけていった。 こうして店舗が富裕層を追いかける動きには名前が付いている。 レディス・マイルからマレーヒルまでの店舗移転は「ファースト・ジャンプ」と呼ばれ、 さらにマレーヒルからアッパーイーストやミッドタウン北部への移動は「セカンド・ジャンプ」 と呼ばれるのだそうだ。 ティファニーは「セカンド・ジャンプ組」であるが、 37stの旧ティファニーの近所にある百貨店「ロードアンドテイラー」は セカンド・ジャンプをしなかった組なのだそうだ。

以上である。ニューヨークが南から発達していった歴史に合わせて、 ティファニーが何度も引越をしていたなんて、教えて頂かなければ思いもつかなかった。 しかもそういった店舗移動に名前が付いているという事は、かなり一般的に見られた傾向なのだろう。 日本流に考えると「お客様は神様」という精神の現れかと思ってしまうが、実際は、 アメリカの都市事情として場所と階層が密接に関係しているから、 お金持ちが去るともうそこは違う階層の街になってしまって商売がとてもやりにくくなるのだろう。






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[参考]
  • "AIA GUIDE TO NEW YORK CITY", Three Rivers Press, 2000


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