ホイットニー美術館 Whitney Museum (1966) by マルセル・ブロイヤー (Marcel Breuer)
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ミュージアムマイルを歩いていると、積木をだんだんせり出したような不安定な格好の建物がある。 三角に突出た妙な窓が少しあるだけで、あとはダークグレーの地味な石貼りの表面が続く。 角地にマッシブな姿を目一杯さらけ出していて、何か特別な建物である事は分かるが、 知らないとやけに気になる・・。 これがホイットニー美術館である。アメリカのネイティブな現代美術を集めている。
ブロイヤーは外観にかなり苦心したようだ。「・・美術館はどう見えるべきなのだろう?。 機能は作れるとしても、ニューヨークの景観とはどうつながるべきなのか。 何が建築のメッセージとなるのか。 何に見えてはならないかはすぐ言える。 オフィスビルに見えてはならない。 軽い娯楽の場に見えてもいけない。 その形態・材質はこの色とりどりのジャングル、 摩天楼の街のなかで、アイデンティティと重みをもたなければいけない。 それは歴史の中で、街のバイタリティを芸術への親近感と満足に変えるような、 それ自身で立っている独立的なものでなければならない・・」と彼は述べている(意訳)。
確かにオフィスにも娯楽施設にも商店にも見えない。 現代美術館というと何か納得させられるものがある。
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中に入るとロビーがあって、非常用+搬入用+客用を一緒にしたバカでかいエレベーターがある。 階毎に違う展示があって、エレベータと階段でつないでいて分かりやすい。 各階の階高がかなり大きくて、多種の展示に対応できるようになっている。
中に入って一番感心したのは、材料の使い方とかちょっとしたディテールのセンスである。 まずロビーの照明が楽しい。 次に階段室だが、中の壁はゴツゴツしたコンクリで凹凸で味を出している。 ステップのディテールも階段室の照明も、雰囲気があって良かった。 階段から展示室へ向かう壁も感じが出ていた。 総じて、外部デザインが練られていたように、 インテリアも充分練られたものだった。 しかし撮影禁止だったのが大変残念である。
何と言うか、写真で見たL・カーンの建物のインテリアにも似ていて、 現代的でカッコいいんだけれど、それはぬくもりのある素材感を伴ったものである。 例えばコルビュジェの住宅に見られるような、素材の抽象性はない。
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私の見た旅行ガイドブックには、この美術館の外壁が打ち放しコンクリートであるように書いてあったが、 それはモダニズム的なものへの先入観に過ぎない。 この建物は石貼りである(写真3を拡大すると分かる)。 しかも、この建物の見せ方はモダニズム的でないともいえる。 というのは、この建物のようにマッシブで、もろ「重いよ!」と平気で言っている筐体を、 初期のモダニストなら作らなかった筈だ。 どこか浮かせたり軽く見せたりする筈だ。 第二次大戦後のミースだって、軽重の対比くらいは見せた筈だ。
ただまぁ、モダニズムと言っても色々あって、1950年代には、 コルビュジェのロンシャン教会(1955)のような重いのが登場した。 1950年代後半から、ルイス・カーンの作風がアメリカ建築界を風靡した。 石貼りだって良くなった。重たそうでも構わない。 特にブロイヤーはモダニズムが「スタイル」になるのを嫌った人だから、 その意味でも個性的なものを作ったのだと思われる。 しかもブロイヤーはもともとバウハウスで家具デザインの修練を積んだ人だ。 このインテリアの「モダン」さはバウハウス仕込みなのだ。 この作りに大変親近感を覚えた。
更に蛇足だが、2003年に死んだ芦原義信はブロイヤーのもとで修業した人だった。 この人の作ったソニー・ビル(銀座)も東京大学御殿下記念館も 東京芸術劇場(池袋) も、何か都会的で垢抜けて見える。 この人の発言(著書『街並みの美学』とか)にはちょっと古くささとかが感じられてしまうのだけれど、 作るものは好きである。 この垢抜けた感じはブロイヤー仕込みだったのだろうか?、と思いめぐらすこのごろである。
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