グランド・セントラル駅 Grand Central Terminal (1903-13) by ワレン&ウェットモア (Warren & Wetmore (Reed & Stem, Warren & Wetmore))
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この駅舎は、マッキム・ミード&ホワイトのペンシルバニア駅(1902-1911)とほぼ同時に作られ、 ニューヨークの大玄関として双璧をなす様式建築であった。 ワレン&ウェットモアは第ニ世代のボザール流建築家と呼ばれる人達に属する。 ペンシルバニア駅は1963年に、経済効率の名のもとに破壊されてしまったが、 この駅は今でもしっかり機能している。 この駅の敷地の最大の特徴は、 パークアベニューという広い道路に立ちはだかって南北に2つの視覚的行き止まりを作りだしている事である。
もともとパークアベニューは鉄道が走っていた場所で、 それを全部地下に埋めて地上を新しい街路にすると同時にグランド・セントラル駅が作られた。 だから行き止まりは当然できる訳なのだが、 御存知のようにNYというのはグリッド街区だから、殆ど行き止まりがない街なのである。 この駅の外見デザインを決める上でもっとも重視されたことは、 このNYの数少ない行き止まりのアイストップとして、 如何にすぐれた顔を作りだすかという事であったと思う。
今は メットライフビル があるからその辺の配慮が分かりにくいのだが、 南側の3連アーチは、当時の街の顔となった。 北側は、ヘルムズリービルという別のビルが立ちはだかっている (1929竣工、これもワレン&ウェットモアによる)。 写真1が北面で2が南面である。
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中に入ると地下に入る道が左右に伸びていたりして、内部の複雑さを伺わせる。 中央コンコースに入ると、ここは実に広い。 このような駅舎では、車(通過・立寄)、乗降客、スタッフ、 列車、物流を同時に効率良くさばく必要がある。ラッシュアワーもある。 駅を歩いていると、背後の複雑な動線空間が想像されてくる。 余裕を見て作ってあって、設計当初の動線計画が現在も有効に機能しているように感じられた。
しかし土地の有効利用という観点からはこの駅は邪魔者であった。 この駅もペンシルヴァニア駅同様、解体する計画があり、 その跡に55階建てのビルを立てる計画があったそうだ。 それを救ったのが、ジャックリーン・オナシス・ケネディを中心とする市民団体だったという。 いまではこの駅は永久保存が確定している。
ちなみに写真3と4によって、迂回する車の動線が分かる。 南から北上してきた車は駅舎正面まで行って(写真4)、 左右に分かれて駅の側面を伝ってゆく(写真3が南西から見たところ)。
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中央コンコースは天井が高くて広く、駅舎という公共空間をいかに優雅に演出しているか、感心してしまった。 コンコースの柱や天井のディテール、装飾、それらが一体となってとても良い空間の質を作りだしている。 一言で言うと雰囲気がいいのである。 良質の空間を生みだしているという事は、 この駅舎の設計者が空間作りが上手くて、様式表現もうまく使いこなしているという事だと思う (尤もコンコースの四角い柱は様式表現とは言いにくいが・・)。
ただ、後日AIAのNYガイドを見ると、この駅舎の中央コンコースは unexpectedly spare in detail と書いてあった。 つまり、外があれだけ豪華だったら、中の細部ももっと豪華に込み入ったものを期待するのに、 やけに簡素で切り詰めた感じがすると言っている。 恐らくこの文章には、壊されたペンシルヴァニア駅のインテリアとの比較が込められている。 写真で見ても、ペンシルヴァニア駅の内部には巨大な古代ギリシア・ローマの列柱が立ち並び、 この駅をしのぐ壮麗さであったのである。
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