メットライフビル(旧パンナムビル)
Met Life Building (1963)
by ワルター・グロピウス、ピエトロ・ベルスキ、エミリー・ロス&サンズ
  (Walter Gropius/Pietro Belluschi/Emery Roth&Sons)


竣工当時世界最大のオフィスビル。戦後のNYを代表するビルの一つ
シーグラムビルを超える「ガラスの直方体」がもはや不可能な中、モダニスト=グロピウスが作った八角形平面
パークアヴェニュー沿いのヴィスタを完全に閉ざしたので批判された
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このビルの最大の問題でありかつ特徴なのは、 このビルがパークアヴェニュー沿いのヴィスタを完全に閉ざしている事である。 南から見ても(見出し写真)、北から見ても(写真1)、ビルが見通しを切断している。 北側正面手前に見えているヘルムズリービルは、かつて南側からも見えていた。

このあまりにも良く知られたこのビルの形・・。 竣工当初は景観上の問題を指摘され、非難ごうごうであったという。 しかしビルができて何年も経った時点では、もうこのビルなしにこの場所は語れなくなった。 この景色は当然のごとくパンナムビルと、あのかつてのパンナムのロゴがあるべき景色と化したのだった。

どういう事か。 このビルを実際まのあたりにしたとき感じたのは、 このビルを構想した人間は、充分承知の上でヴィスタを破ったに違いないという事だった。 「モダニストは一般に景観維持に無関心だった」と言われるが、 こんな大胆な、冒涜的とさえ言える事を、単なる無関心でやれる筈がない。 グロピウス達は、大胆不敵な確信犯だったのだ。 街全体の最大級のアイストップとなり、やがては景色が全てパンナムビルのものになる事を見越してやったのだ。

いや、確信犯までは行かなくとも、大きな賭けであった事には違いあるまい。 そして、最初は非難もあったけれど、結果的には大成功してしまったのである(人々に親しまれた)。

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さて、ではこのビルの特徴的な八角形平面はどこから来たのか。 1958に シーグラムビル が出来たとき、 モダニスト達はある意味で行き着くところを究めてしまった。 柱型の均等な並びで全体を律する事、プロポーション、ピロティ、プラザ(前庭)との関係、 抽象的な箱、等々。 これ以後は、モダニズムのバリエーションの模索が始まったと言える。 その中で、モダニスト=グロピウス達のグループが提出した一つのバリエーションが、八角形平面だった。

ビル正面を見ると、スラブと間柱の織りなす縦横ラインの見せ方は、シーグラムビルにそっくりである。 途中に2回ピロティが挟まったような柱の表現を入れて全体が分節され、 更にビル全体の三層構造を考えたときの最上層にあたるロゴ部分が作られる (この辺もシーグラムビルに似てると言えばいえる)。

設計チームは、このアイストップとなるファサードを、能うる限り入念に仕上げたに違いない。 そして使われたデザイン要素はほぼモダニズムから持ってきたものである。 モダニズムにとってこのビルがどういう意味を持つかというのは別途問うてみる必要がありそうだが、 取り敢えずはモダニズム路線の延長上に、 やがてニューヨーカーに最も親しまれるこのビルの風貌が誕生したのだった。

さてこのビルの内側であるが、残念ながら時間の都合で見ていない。 1960年代を代表するビルにふさわしい内装が施されていて、それがそのまま保存されていると聞いた。 NYに行かれた方は是非見に行ってください。






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[参考]
  • 「ニューヨーク摩天楼都市の建築を巡る」小林克弘著、丸善


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