ワールド・ファイナンシャル・センター World Financial Center (1987) by シーザー・ペリ&アソシェイツ (Cesar Peli & Associates)
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ワールド・ファイナンシャル・センターは、 ウォーターフロントの活気を取り戻すべく再開発されたものだそうだが、 マスタープランは1979に策定され、時はすでにポストモダニズムであった。 シーザー・ペリは、 すぐ隣のミノル・ヤマサキの ワールドトレードセンター と全く違う景色・構成を現前させた。
ワールドトレードセンターから大きな連絡通路があり、 ここを通過するとそこは大きな、19世紀の水晶宮のような鉄骨で出来たアトリウムである。 そしてそこ(室内)に有名な16本のヤシが植えてある。 このヤシは、水晶宮を生みだした19世紀の巨大温室技術が、当時の植民地の樹木へのあこがれ、 特にヤシへのあこがれを抱いていた事を想起させている。 ポストモダニズム的歴史主義による極めて暗示的な演出なのである (尤もAIAのNYガイドは、水晶宮の繊細な鉄骨とくらべてこの骨太はどうしたことかと疑問を呈している)。
そしてアトリウムの正面では大きくハドソン河岸が一望できる。 この岸辺の景色こそ、バッテリー・パーク地区再開発(ワールド・ファイナンシャル・センター建設) の最大の眼目であるウォーターフロント活性化を可視化するものなのであった。 写真2を拡大すると少しだけ港が見える。
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ワールドトレードセンター などにあるようなプラザではなく、 アトリウムを中心に持ってきたのも、 この時代のポストモダニズムの特徴である。 即ち、単なる外部の広場(プラザ)より、雨風をしのげてコーヒーも飲める、 アメニティ性の高いアトリウム空間の方が人の憩いの場となる(実際に人が沢山憩う)事が知られたのである。 フォード財団ビル 以来のアトリウムの進化である。 この頃には、ニューヨーク市当局の条例により、 アトリウムを設けると容積率が緩和される措置がなされていたという。 それで幾つもの快適なアトリウム空間が作られた。
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アトリウムを取り囲む各ビルは、アールデコや過去の高層建築を参照し、 いかにもポストモダニズムらしい賑やかな形態となっている。 ビルのセットバックは法律上のものではなくマンハッタンの昔のビルをしのぶ意匠である。 またビルの下の方ほど窓枠部分の花崗岩の比率を多くし、 上の方ほどガラスの比率を大きく取る事により、 上に行くほど軽くのびやかな表情を作ろうとしている。 全体として、如何にもポストモダニズムの建物という印象がある。 歴史の参照その他によって、 変化に富み潤いを与える光景を作りだそうとしているところが好感が持てる。
(追補)2001年9月の爆弾テロで、崩壊したWTCのすぐ隣にあったこのビル群も多大の被害を受けた。 特にウィンター・ガーデン(椰子の広場)は、後部が露出する甚大な被害であった。 ワールド・ファイナンシャル・センターのHP によれば、2002年9月に再開したとの事。
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