NYの地区と歴史のごく簡単な解説




さてここでは、マンハッタンの主な場所の区分を、時代の推移とともに解説します。 下の地図をクリックすると大きな地図が出ますから、それを見ながらお読み下さい

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まず最初に開けたのがロウアーマンハッタン、つまり島の南端です。 そもそもニューヨークの始まりは、オランダ人がこの島の南端(地図の一番下)に入植した事に始まります。 ここに、ウォール街やジョージワシントンが就任演説した場所(現 フェデラル・ホール国立記念館 )があります。 人口はどんどん増え続け、市街地は北にじりじりと上ってゆきました。 そんな1811年に、ニューヨーク計画が施行され、 既存部分を除く全マンハッタンに、きれいなグリッドパターンを被せます。 これで今のマンハッタンの街路の大部分が決まってしまいました。

地図を見て下さい。ロウアーマンハッタンより上はきれいなグリッドですが、 ロウアーマンハッタンに近いところは、それ以前に開発されていたからごちゃごちゃしています。 しかし北の部分にも、1811年当時既に開けていた例外的な道路がありました。 それがブロードウェイです。 この道はグリッドに乗らないので当時廃止しようという意見があったそうですが、 権益が複雑でつぶせませんでした。 だからグリッドを斜めに横断するブロードウェイが今もあるのです。

セントラルパークが計画されたのは、グリッドが出来て数十年経った1850年代です。 当時この地域はまだ正式には誰にも所有されておらず、 無断で勝手に家を建てて住んでいる人が居る程度で、あとは広大な荒野だったようです。 市当局は用地の買収に続いてコンペを行いデザインを決定し、その後20年かけて公園を完成させてゆきます。

ニューヨーク計画の後、市街地はじわじわと北上を続け、1850頃からソーホーに倉庫街ができて、 そしてグリニッジヴィレッジ、チェルシーなどの市街地が順次出来てゆきます。 ユニオンスクエアやマディソン・スクエアは、この市街地化に伴ってできたものだそうです。 その一方で、1880年頃から今のミッドタウンノースにあたる5番街沿いに高級住宅地ができます。

これが現在のミッドタウンという街の核になります。 結局、経済・ビジネスの中心は、当初からあったロウアーマンハッタンと、 後から開発されたミッドタウンノース(ミッドタウン北側)に二分されます。 今でもこの二ヶ所に、最も高層ビルが多いのです( NYの夜景 をご覧になると、この二ヶ所に高層ビルが多いというのがよく分かります)。

ミッドタウンノースの高級住宅街と、南から北上してきた市街地はやがて一体となります。 それはどうも1890年代のようです。 と言うのは、現在の ニューヨーク公立図書館 (ミッドタウン南側)の敷地に、 当時の市街地の北端に位置していた大貯水槽があったのですが、 その辺りが市街地化したのでニューヨーク公立図書館へと変わるのが1897-1911年なのです。

1900年代になるとロウアーマンハッタンからハーレムまで地下鉄が延び、北側もどんどん賑やかになります (地図ではセントラルパーク北端までしか載っていません。ハーレムはもっと北です)。 但しハーレムという地区はメイドや使用人として多くの黒人達が流入した場所で、 その後その人達が住む街に変わります。 低所得者層が住むこの街が、治安が悪くなったのは御存知の通りです。 現在は治安はかなり回復されているとの事です。

これが、うんと大まかなマンハッタンの歴史です。 こうして振り返ると、開発が最も進んで現在のマンハッタン全域に市街地が出来たのは、 1800年代の100年間ですね。 歴史と組みあわせて覚えると、ややこしいマンハッタンの地区名も覚えやすいと思います。





[参考]
  • 「ニューヨーク摩天楼都市の建築を巡る」小林克弘著、丸善


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