ビルのセットバックについて(マンハッタニズムの魂)




マンハッタンの摩天楼というとどんなイメージをお持ちですか?。 何となくセットバックした古めかしいビルを思い浮かべませんか。 実際マンハッタンにはセットバックしたビルが非常に多いです。 これは1916年に施行されたゾーニング法によって形態が規制された為です。 この法律は1961年まで、実に約45年もの間マンハッタンの摩天楼の形を規制し続けます。

この形態への規制というのは、日本でもおなじみの斜線制限てやつです。 規制斜線で囲まれた物体がどんな形になるか、 写真1に示します。 これは、ヒュー・フェリスというマンハッタンの有名なレンダラーの図面をトレースしたものです。 この斜線制限の特徴として、ブロック全部を占める建物の場合、中央部は無制限に高くて良いようです。 またブロックの肩の部分ではどんどん先細りになっていますよね。 写真3、4、8、9では、1つの大きな建物の塊が先細くなってゆくのが見てとれます。


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さて、1916年以降、この規制に合わせて意匠的にどんな形態が考えられるか試行錯誤が行われました。 このHPで言うと アメリカン・ラジエター・ビルパーク・アヴェニュー・ビルニューヨーク・テレフォン・ビル などが、その試行錯誤の1920年代に作られたビルです。 ここでは、街で見かけた色々なセットバックをお見せしています。

「錯乱のニューヨーク」によれば、摩天楼都市マンハッタンの文化的意味に対応する、 デザインとしての摩天楼を決定したのがこのゾーニング法で、 その形態的効果と醸し出す雰囲気を一番よく知っていた(称揚していた)のが レンダラーのヒュー・フェリスでした。 「錯乱のニューヨーク」という本は、 まさにこの1920-40年代に花開いた摩天楼の文化的背景・本質を探る本といえます。


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著者のコールハースによれば、過密都市マンハッタンは<過密の文化>を醸成しました。 摩天楼は、それぞれに異なる生活が詰まった、外見は無表情な塊です。 摩天楼は都市の中の都市であり、ブロックの数だけある孤立したシステムです。

過密の都市の「デザイン原理」であったゾーニング法と、それが拓く都市デザイン・都市文化の可能性は、 コルビュジェがした批判とは裏腹に、 当時の世界のどこにもない先進的な(突き抜けた)ものであったとコールハースは述べています。 ニューヨークは、過密という「大問題」を逆手にとって、 全く独自の都市デザイン・都市文化の道を歩んだのです。 その様を彼は波乱万丈の人生を送った映画スターに例えています。


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有名建築家によるオモテの建築史の裏側で、実はこんなにスゴいものが生まれていた。 しかもそれは建築家の高邁な理念ではなく、 ニューヨークを支えていた大衆の生活やイメージが先行し、 商業主義や手垢にまみれた成金趣味が後押しして、 結果として出来上ってしまったものだった。 その面白さを示すために、彼は一冊の本を書いてしまったのでした (ちなみにコールハースは、建築家になる前はシナリオライターだったのでした)。

しかしコールハースによれば、その後この「主人公」ニューヨークは、早々とボケてしまいます。 過去にあった摩天楼の秘密を語るものはどんどん死に絶えて居なくなり、 もはや誰もが、そこにあった筈のものを忘れてしまいました。 そうやって残されたのが、これらのセットバックした建物達です。

そう思って例えば写真5や9を見ていると (写真9正面の建物だって何階建てか数えてみて下さい。スゴく大きいんですよ)、 何か私はゾクゾクして来ます。 これらの建物はフェリスが夢見た幻のマンハッタンの特質を分け持っているのです。 何気なく佇むこれらの建物達から、過去の理想の栄華(!?)を想像してみて下さい。





[参考]
  • 「錯乱のニューヨーク」レム・コールハース著、筑摩書房


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