おなじみ国連本部である。 子供の時から写真で有名で、こんなに見飽きる程見たら、 もうこのビルは最初からこうでしかあり得なかった、 みたいな強烈な自己同一性を発散しているように見える。 メットライフビル にしてもこれにしても、 「こうでしかあり得なかった」みたいな感じを起こさせるビルというのは、 やはりもともと何かシンボルたり得るデザイン上の美徳(?)を兼ね備えていたという事なのだろうか??。
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国連本部の原案はコルビュジェによってもたらされた。 写真4はこの原案をトレースしたものである(原図の持っていた雰囲気は一切損なわれている。あしからず)。 薄板(スラブ)のような縦長直方体のオフィス棟、 その単純な箱形は完全にガラスに覆われて、日光を最大限合理的に取入れる事が出来る。
1Fはピロティで、建物に浮遊間が与えられている。 その脇にずっと低層のオーディトリアムがあり、1F外周はやはりピロティである。 地表レベルは建物の敷地を制限してオープンスペースを広く取っている。 主な2棟の建物の1Fがピロティなので、地表には充分に開放感が与えられている。 この地表レベルは過密の解消を象徴している。
つまりオフィス棟に全ての過密を押し込んだので、 地表には過密から開放された人々の明るい生き生きした生活が実現される。 彼の「輝く都市」のモチーフが、この案の中で絶えず鳴り響いていたのである。 コルビュジェは実は国連ビル設計委員会のオブザーバーでしかなかった。 しかし彼なりのマンハッタン批判があり、 ここマンハッタンも彼の自説に従うべきだという信念から、強硬に自らの原案を主張したのだった。 彼の縦長直方体のオフィス棟はまさにマンハッタンの摩天楼の非合理的な形態に対する批判であった。
しかし設計委員会のハリソン等は、 コルビュジェ案に含まれるマンハッタン批判やモダニズムのドグマにあたる部分を慎重に摘み取ろうとする。 「・・ハリソンはマンハッタンの無垢なる状態を回復させる。 国連ビルのデザインの過程で−つまり国連ビルを理論から具体的物体へと転換する作業の過程で−、 彼は慎重にその黙示録的要請−『我を建てよ、さもなくば・・』−を取り去って、偏執狂を無効にしてゆく」 (「錯乱のニューヨーク」より)。
縦長直方体のオフィス棟は残るが、それはもはやピロティを持たない。 建物は全て地表に張り付き、地表のオープンスペースの意味合いは変えられる。 コールハース的に言えば、当初過密の批判であった筈のオフィス棟は、 「マンハッタンすなわち過密し孤立したブロックの集合であるメガヴィレッジの、 過密の単位であるところの一摩天楼」へと意味合いを変換させられたのであった。
しかしそれでも、この薄板型のオフィス棟は当時のマンハッタンにとっては衝撃的であったろう。 薄板形と言えば、戦前の マグロウヒルビル がかなり近いが、あと続くものがなくて、 1952年の レヴァーハウス がそうである。国連本部ビルは1953年竣工だからほぼ同時に薄板形のビルがNYに到来した事になる。
オーディトリアムの内部は写真の通りで、まず曲線的なバルコニーの姿が入場者を迎えてくれる。 これはハリソンによるものだという(曲線を導入したいという意図)。 しかし気になったのはそこだけである。 ビジターが歩き回れる範囲の建物の内部は、 柱がちょっと変わっている位であとは普通のビルの内部に過ぎず、つまらなかった。
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